【京都アニ事件】青葉容疑者の動機に関わる家族の自殺など生い立ち

青葉被告

1/25更新 青葉真司被告についに死刑判決

事件から実に5年余り、戦後最大の放火殺人事件として注目を浴びた事件の裁判は

青葉真司被告の死刑判決という、遺族としては納得はできないが、最大の半径つが出たといえる

■京都地裁「死刑回避の事情なし」

 京都地裁は、「炎や熱風の中で亡くなった被害者らの悲しみや苦痛は筆舌に尽くし難い。被害者らは在籍期間の長短はあるものの、将来に希望を持って京アニで働いていた全く落ち度のない人たちだ。  多数の人が働いている時間帯にあえて第一スタジオを狙っているなど犯行の態様は極めて残虐で悪質だ。犯行が露見しないように犯行前には人との関わりを避けたり、事前に道具を準備するなど計画的だ。  犯行の直前に十数分間逡巡するなど、引き返すことができたにもかかわらず、大量殺人を犯すという強固な殺意のもと実行した。妄想性障害による影響はあったものの、心身喪失や耗弱まで認められない。公判廷で初めて謝罪したが、被告人に真摯な態度は見られない。死刑を回避する事情はない」として、死刑判決を言い渡しました。

ヤフーニュース

初めに

この記事では京都アニメーション放火殺人事件の容疑者である青葉被告がなぜこのような凄惨な事件を引き起こしてしまったのか?

これからの公判や判決を見ていくうえで犯行の動機や、幼少期の様子、家族、犯罪歴などを知ることでより深くこの事件を知ることができます。

もちろん過去類を見ないような凄惨な事件で被害にあわれた被害者の方やその家族、知人の方には心からお悔やみ申し上げます。

しかし人間は過ちを犯すものです。この事件の全容を深く知ることで、再発防止の一助となれば幸いです。

青葉被告の動機とは何だったのか?

青葉被告の動機は、京都アニメーションが自分の小説のアイデアを盗用したという妄想に基づく復讐だったと考えられています。本人も公判の中で「京アニに小説をパクられ、根に持ったことが大きかった」と語っています。青葉被告は自分の作品が京都アニメーションの作品に盗用されたと思い込み、同社に対して激しい怒りや憎しみを抱いていました。

また、放火殺人事件の1か月前には、自宅にある埼玉県で包丁6本を持ち「無差別殺傷計画」を計画したが、大宮駅前の人通りが思ったより少なく、これでは騒ぎが起こったらすぐに逃げられ、目的の達成が困難だと考え思いとどまったとのこと。

青葉被告は事件を計画した理由について、京アニに自身の小説を登用され、公安にも監視されている。「メッセージ性を込めた犯罪をしないと、そういった物事から離れられないと思った」と語っている。

被告にはこのような残虐な犯行を考える残虐性や、犯行の可否を冷静に分析できる判断力が備わっているように感じられ、とても責任能力がないとは考えられません。

青葉被告のプロフィール:名前、年齢、家族構成など

  • 青葉真司(あおばしんじ)
  • 1978年5月16日生まれ(2023年時45歳)「事件当時41歳」
  • 埼玉県出身
  • 職業:無職
  • 身長180cmほど・血液型A型

犯罪者の名前は青葉真司で、現在45歳(2023年)です。職業は犯行当時無職で、事件前は埼玉県川口市のアパートで一人暮らしをしていました。

3人兄弟で兄と妹がおり、両親は幼少時に離婚しており、3人とも父親に引き取られ育てられたようです。父親の育て方は厳しかったようで、体罰などもあったようです。

その後母親は別の男性と再婚し生活しているようですが、父親が自殺しており現在の青葉被告は母親も含め他の身内との付き合いはなさそうです。

父親が「自殺」とかなり特異な家庭環境にあり、青葉被告の人格形成に大きく影響したと考えられます。

まさp
まさp

壮絶な家庭環境には同情するが…犯した犯行については同情の余地はないと思う。

青葉被告の幼少期:生まれた場所、育った環境、学歴、友人関係など

青葉被告は1978年(昭和53年)当時の埼玉県浦和市に3人兄妹の次男として出生した。青葉被告が9歳の時に両親が離婚し、親権は父親が持ったと思われ、以降は父と兄、妹の4人家族で暮らしたようだ。

父親はトラック運転手をしていたが、その後、病気を患ったのが原因で無職となり、生活保護を受給するようになった。家賃が支払えず青葉被告が中学2年生の時に転校したが、転校後は不登校にとなったとのこと。

父親は離婚後、冬にパンツ1枚で兄弟2人を外に立たせて水をかけたり、眠らせなかったりといった虐待も行っていたらしい。

中学卒業後は、定時制高校に通いつつ、埼玉県の非常勤職員として庁内の郵便物を仕分けする文書課で3年間勤務した。この時期、高校の先輩から紹介された作品によって、後に京都アニメーション作品を知るようになったといわれている。

高校2年の時には父親がタクシー運転手として再び働き始めた。高校の4年目には、県庁での仕事に加え、ガソリンスタンドのアルバイトも行っていた。

1998年に皆勤で高校を卒業後は、「ゲームの音楽を作る人になりたい」という思いから音楽の専門学校に進学し、学費を払うために住み込みで新聞販売店で働いたが、「学ぶものは何もない」と専門学校を約半年で辞め、新聞配達のアルバイトも辞めてアパートで1人暮らしを始めた。その後はコンビニエンスストアのアルバイト店員など非正規の仕事を転々としていたようだ。

このころタクシー運転手だった父親は業務中に死亡事故を起こして失業し、1999年12月に自殺したと思われる。

一度狂ってしまった歯車は元には戻せず負の連鎖となってしまったのか…

青葉被告の犯罪歴:過去に起こした事件

  • 2006年9月、埼玉県越谷市内で下着を盗んで逮捕されている。
    動機は【金欠でヤケになった】と語り、懲役2年・執行猶予4年の有罪判決を受けている。留置場に収容されていた間の家賃は母親が負担し、その後は母親と母親の再婚相手の3人で同居したが再婚相手と折り合いが悪く、仕事が見つかったとして母親宅を出て、茨城県や栃木県内で職に就いたがいずれも長続きしなかった
  • 2012年6月19日、コンビニで包丁を持ち、現金2万1000円を奪う強盗事件を起こした。
    同日11時ごろには茨城県境警察署に出頭して逮捕された、当時「遊ぶ金が欲しかった。オウムも次々逮捕されており逃げ切れないと思った」「仕事上で理不尽な扱いを受けるなどして、社会で暮らしていくことに嫌気が差した」などと供述している。

    また、動機のきっかけとして「母親があまりよい顔をしてない」「小説を送らなかったこと」と述べたほか、「仕事をクビになったときは、母や兄も含めて、ガソリンを撒いて燃やしてやろうか」とも述べており、世の中への不満や家族への恨み、当時から放火を示唆する供述をしていた。

    この事件以降、母親とは断絶状態となり、兄や妹とも連絡を取ることはなくなった。強盗および銃砲刀剣類所持等取締法違反に問われ、懲役3年6月の実刑判決をうけている。
    同年12月には喜連川社会復帰促進センターに移送された。服役中もたびたび問題行動を起こし、2015年10月、担当医から統合失調症と診断されている。

    服役中に小説を書き溜めており出所前のアンケートには、「1年後に作家デビュー、5年後に家を買う、10年後は大御所」と記していた

青葉被告は過去にも犯罪を起こしており、どんどん母親や兄弟でも手に余るようになっていきます。
母親は青葉被告の性格を「父親にそっくり」と語っており、父親の死が青葉被告に多大な影響を与えたのは間違いないといえるでしょう。

青葉被告の現在:逮捕された後の様子や裁判の進展、被害者や社会への影響など

青葉被告は事件で全身の93%に重度のやけどを負い、長期間にわたって治療を受けてきました。

2020年5月にようやく逮捕され、2021年1月に起訴。

事件から4年後の2023年9月からようやく裁判員裁判が始まり、青葉被告は起訴内容を認めましたが、弁護側は心神喪失や心神耗弱を主張して無罪や減刑を求めています。

裁判は来年1月25日に判決が言い渡される予定です。事件は被害者や遺族はもちろん、京都アニメーションやアニメ業界、社会全体にも深刻な影響を与えました。

裁判で青葉被告は何を語るのか、なぜ事件は起こってしまったのか?

この語の動向も追っていきます。

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